今更の感は否めないが、ここで裁判の種類について書いてみる。
裁判には大きく分けて、刑事裁判と民事裁判とがある。
これまでにUNICOが書いてきた裁判はすべて刑事裁判だ。
それでは、なぜ刑事裁判が行われるのだろうか?
簡単に言えば、犯罪を犯したとされる被告に対して、
本当に悪意を持って犯罪を犯したのか、もしそれが本当ならば相当の罰を受けて貰おうじゃないか、
といったことを検討するために行われるものである。
そして、刑事裁判では検察官が主体となって被告の罪をひとつずつ立証をしていく。
検察が立証しなければならないことのひとつめが「構成要件該当性」と呼ばれるもの。
ふたつめは「違法性」。そして最後に被告人の「責任能力」についてである。
もちろん裁判の中で被告にも言い分、主義主張はあるはず。
これを法廷で代弁してくれるのが弁護人というわけだ。
ここでひとつ疑問が浮かんでくる。
一体検察は、何を根拠に被告の取った行動が犯罪に該当すると主張するのだろうか。
もし犯罪という行動の分類に明確な基準がなければ、おちおちと日常を過ごせない、
といったことにもなりかねない。
そこで、こういう行動を取ったらこれくらいの罪になりますよ・・・といった基になる法律がある。
メジャーなのものに刑法がある。
基本的に刑法は「日本国内において罪を犯したすべての者に適用する」と条文にある。
これは刑法の適用は、日本国内に住むものならば老若男女を問わないということを意味する。
例えば「子どものときに万引きをやったことがあるわ」
などと酔ったおっさんたちが話すのを結構耳にするが、
これを刑法の条文に当てはめてみると、第235条「窃盗罪」に該当する立派な犯罪行為となるのだ。
そして、その罰についても「10年以下の懲役又は50万円以下の罰金の刑に処する」
ときっちり決められているわけである。
これは裏を返せば、一時期問題となった脱法ハーブといった大麻と同様の作用がある薬物を使用した場合にも、
犯罪の根拠となる刑法他関連諸法規にその含有成分が禁止薬物として指定されていなかったため、
罰することができなかったということになってしまうのだ。
・・・若干話が逸れたので元に戻すと、
検察は、被告がこうした法律に載っている行為をしたことを警察の捜査を基に立証すれば、
「構成要件該当性」があるとすることができ、被告の行為が構成要件に該当しているということになれば、
関連法規の条文にある行為は、他人に不利益を与える行為であることを予期したものであるということが
立証されたこととなり、「違法性」をも立証したことになるとされている(通説)。
これを被告が明確な悪意を持って、万引きしたことを検察が立証すれば、
「構成要件該当性」と「違法性」との2つのことを立証したことになるというわけである。
実際の公判の流れで考えてみると、検察からの「起訴状の朗読」と呼ばれるものがある。
ここで被告と弁護人とが「異議はありません」とあっさり認めると、
「構成要件該当性」と「違法性」との立証が成立したということになるわけだ。
もし被告側が、起訴状に対して「自分はやっていない」と異議を申し立てると、
今度は被告側が、検察が提示した証拠に対して、ひとつひとつ反証していく必要が出てくるわけだ。
これを昨今の裁判のスピード化の流れに照らせば、審議に入る前に検察側と弁護側とが、
事前に打ち合わせを済ませているため、僅か40分余りの時間で結審まで進めることが可能となるのだ。
ここまで来ると法廷での争点は、被告人の責任能力の有無になってくる。
責任能力の有無が問われるものの典型例を示すならば、
未成年の犯行を挙げることができる。
未成年も日本国内に住むものであるため、刑法の適用を受ける。
それなのに、なぜ未成年は刑務所に入らないことが多いのか?
それは少年法という特別法があるためである。
特別法である少年法は、一般法である刑法よりも優先される。
これを上で挙げた「万引き」の例で考えてみると、
「万引きをする」→「刑法235条の窃盗罪に該当する」→「未成年の被告が犯行を認める」
→「構成要件該当性」と「違法性」が立証される→犯行時の責任能力について吟味する
→その罪の重さについての理解がある→窃盗の法廷刑である
※10年以下の懲役又は50万円以下の罰金といった罰を受けるといった流れになるのだが、
未成年の場合は、上のフローにおいて「犯行時の責任能力」の部分で、
「判断能力も未熟だし、罪を犯した重大さの理解もおぼつかない」となり、
「未だ若いし、将来もあることだから少々罰を負けてやろう」となって減刑となるわけである。
ゆえに、少年法が適用される年齢だからといって犯罪行為は犯罪行為なのである。
言うなれば、年齢を問わず、悪いことは悪いことなのであり、それに応じた罰を受けるところまでは同じである。
しかし未成年は、責任能力の面で、成人したものと同様の「事の重大さ」の理解があるとは考えにくいため、
減刑措置や不起訴処分などといった結果になってしまうことになるのだ。
これが被告の責任能力と呼ばれる部分になる。
もし犯行が成人であれば、被告の責任能力があるということを検察が立証するというよりは、
被告側が、その時は何らかの事情で責任能力がなかったことを立証することとなるわけだ。
長い前振りとなったが、今回このようなことをUPしたのは、
次回にその「責任能力」が争点となった公判の記録をUPしようといるためである。
(了)