裁判傍聴 ブログ 「ドラマよりもドキュメンタリー」

空いた時間にフラッとプチ傍聴

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決意は本物か否か(覚せい剤取締法違反)(結び編)

決意は本物か否か(覚せい剤取締法違反)(結び編)

過去に2度の覚せい剤使用で裁判を受けている被告。
今回もまた同じ覚せい剤取締法違反で裁判を受けることとなった
追い込まれた状況にある被告の決意から出た言葉――もう2度とやりません。
本当にもう2度とやらないのか。
その言葉を信じていない軽石検事からの被告人質問がはじまった。
+  +  +
「覚せい剤を使う時にお母さんの顔は浮かばなかったの?」
「使った後には浮かびました」
「覚せい剤を使う時に自分が執行猶予中であることは分かっていたの?」
「はい」
「どうなるか分かってる?」
「前の年数と今回の年数を足した年数を刑務所の中に居ることになる」
「それを分かってて使ったのですか?」
「はい」
そこまで分かっていても止められない覚せい剤――。
それが覚せい剤なのであろう。

「どうしたら覚せい剤を止められると思いますか?」
「本当にもう母も年だし・・・。
これまでに親孝行ができていなかったので今後がそれをやっていきたいと思います。
次またやってしまうということは、母を殺すことと同じなので・・・」
この質問で勝負が決まった。
直前の質問では「母の顔は覚せい剤を使用する前には思い浮かばず、使用後に浮かんだ」と
自分の口で言ったばかり。
被告は覚せい剤を前にすると頭の中には大事にしている母の顔すら浮かばないのだ。
これは言い換えると、覚せい剤を目の前にすると、
もはや精神論ではストッパーにはならないことを裏付けているためだ。

「婚姻していますよね、その同居生活中、昨年に逮捕されていますよね?」「はい」
「何で?」「はい」
「覚せい剤?」「はい」
「今後はどうするの?」
「母の所で旦那と一緒に過ごします」
それを聞いた母親はどう思っただろうか。

「過去に覚せい剤を使っている人と付き合ったことはありますか?」「あります」
「その影響は?」「ないです」
そんなことはないはずだが・・・。

「強い覚悟がいるとは思いますが?」
「旦那も母を二度と裏切れないと言っておりますし、
また一緒に親孝行をしようと言ってくれているので・・・」

ここまででほぼゲームオーバーの被告に対して、
裁判長が更に追い込みを掛けるのだった。
「旦那も服役しているの?」
「ちょっと分からない・・・手紙でやりとりをしているだけなので・・・
未だ裁判をしていないような・・・」
「何れにしろ、もう一生覚せい剤を止めて旦那と一緒に暮らしたいというわけやね?」
「はい」
「娘が覚せい剤を使う親の気持ちはどんなんでしょうね――、
さっき今度やる時は母を殺すのも同じことだって言っていましたね?
甘えているのではないかな・・・甘え過ぎていると思いません?
「・・・・・・」
「せっかくそれなりに仕事にも就いていて・・・、
それが原因でやったというのは通らないでしょうが。
人間関係もきつかったようだけど、他の方法はなかったの?」
「そこまでは・・・」
「誰かに相談とかは?」
「いつもしていた人が居なくなってしまったので・・・」
「それでも覚せい剤に逃げたらだめだよね・・・。
仕事は2、3年は続けていた訳だし、簡単に覚せい剤に走ってしまったことを
今後よく考えて、出所後はもうしないようにね」
「・・・・・はい」
こうして実刑は確定したのである。
+  +  +
その後裁判は、軽石検事から「刑務所に入って専門教育を受ける必要性」が論じられ、
懲役2年6か月の求刑がなされた。
モンチーパンチからは「寛大な措置を希望します」だけに止まり、万時休す。
それでも被告からは「本当にこれで最後にしたいと思っています」
と述べられて、裁判は結審を迎えるのだった。
+  +  +
この裁判を傍聴して、つくづく覚せい剤は、
一度やってしまうと自分の意志では到底止められないことを痛感させられた。
それでも、やってしまったことは今更戻れない。
だからこそ、現状での善処は「施設内での更正」しかないのだろう。
しかし出所後、再び娑婆に戻った時、同じ覚せい剤を使用していた旦那の顔を見て、
それが止める救いとなるのだろうか。非常に危ういものだと感じるUNICOであった。
(了)

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